2012年03月19日 21:56

 数日前のブログで, 私がほぼ2年前に辞めた高等教育機関の
卒業生の謝恩会に呼ばれた, 行ったことを書きました。(*1)
在職中も含め, ほぼ毎年, 花束を頂いておりました。
私は, 花を頂く機会はこの時だけしかなく,
相棒のとりほは,
この時期に頂く花束を飾るのが好きだったということでした。
もう私が直接指導に関与した学生は,
その教育機関からは殆どいなくなる(数名は残るのですが)ので,
花束を頂く機会がもう無くなったと言うことになります。

 花を頂く時, 多くの人は喜ぶのですよね, きっと。
だから花屋があるのでしょうから。
私は, 花の香りを嗅ぐのは好きです。
時折見る花の色を見るのも好きです。
しかし, 花壇で育てるのではなくて,
育った花を, 茎(あるいは花のすぐ後)で切って, 飾るというのは,
花の命を絶つ, とても残酷なことのように思っていて,
花束を頂くことを, 素直に喜べないところがありました。
しかし, 数年前に, 小原田泰久氏の「植物と話ができる!
草木と人のすてきな感動物語」(*2)という本を読んでから,
少し考えが変わりました。
花の色や香を楽しむために命を奪ってしまうのは,
種や実, 葉を食べるのと同様と考えると,
命を奪ってしまう時に, その植物に許しを請い,
次の命として生まれる時には,
今よりも良い環境で生きられることを祈るようにすると,
もしかしたら植物も許してくれるのかな,
と思うようになってきたからです。
植物の感情を感じたことはないのですが,
私が野菜を栽培している時に霊気を施していたら,
あるチャネラーの方が, 野菜の精霊(妖精?)が喜んでいるのが見える,
と教えてくれたことがあるので,
多分植物の感情はあるのでしょう。
茎で切ってしまった花が, 切り口を水に漬けておくだけで,
花が枯れなかったり, 蕾(つぼみ)が開いて花になったりするのは,
花の精霊(妖精?)が喜んでくれてもいるからだ,
と思うようにしたら, 花束を頂いても,
以前とは違って, いくらか素直に喜べるようになった気がしています。

 頂いた花は, 花弁が大きく開いて,
もう最期が近い, というものもあります。
大きく咲く姿を見せて, あるいは, 良い香りを放つことで,
人を喜ばせてくれているのかも知れません。
喜ばせてくれているとしたら, 感謝したいところです。

 もう花束を頂く機会は(多分)なくなりましたが,
花束に喜ぶとりほを見ていたら, 私が育てた花を
贈るのも良いのかなあ, と少し思うのでした。

(*1) http://okyuubooya.asablo.jp/blog/2012/03/17/6379487
(*2) 小原田泰久「植物と話ができる! 草木と人のすてきな感動物語」
廣済堂 (2007)
氏はブログを書いています。URIは以下の通り。
http://plaza.rakuten.co.jp/sasoimizu/