[富山街中] 1945年に米合州国の空襲を受けた日。今の住まい辺りは焼け野原になったとのことです。2015年08月01日 23:42

 第2次世界大戦がもうすぐ終わる,
という1945年8月1日に, 今私が住んでいる
富山市中央部では, 米合州国による空襲を受け,
焼け野原になってしまったとのことです。[1]

 私はどういう訳か, これまでの日本国内の在住地と「実家」が,
皆, 米合州国の空襲を受けた処です。
だから米合州国が嫌い, ということではないのですが,
それはともかく, 戦争行為自体なにも賛成できないです。
旧日本軍がやってきたことも, 米合州国がやっていることも,
どちらも私には許せない行為です。
相手が攻めてきたらそんなことを言えるのか?
そのように言う人が多いようですが, そもそもなぜ攻めてくるのでしょう?
戦争によって稼げる人・組織があるから, と考えるのが自然でしょう。
敵が自分を殺しに来たとしたら,
相手の行動を抑えようとはするでしょうが,
軍人, つまり, 人殺しをプロとする人・組織なので
そんな相手に勝てるわけはありません。
戦争によって稼げる人・組織は,
国という単位で区切られ, 動いているとは思えません。
「敵」と「味方」の両方の中に, 本当の敵がいると考えます。

 2011年の福島の原子力発電所爆発を放棄している段階で,
日本という国家は終わっていることに,
多くの方々が気が付いていないようなのが, とても不思議です。
オリンピック? 東京がその時迄, 混乱が起こることなくあるのでしょうか?
そして, 戦争をしたいんですか?
自国民を放射性物質でじわじわと殺しているのに,
まだ殺したいのでしょうか?
本当に悲しいことです。
日本国政府は, 近代戦争の時代から,
私にとっては「本当の敵」であり続けています。

 空襲を受けた富山の人であれば,
戦争はしないということを誓っているのだと思ってしまうのが,
私が浅はかなことを証明しているのでしょう。
富山の多くの人達は, 戦争推進の自由民主党支持者です。
自由民主党王国と呼ばれて, 恥ずかしいとも思わない,
反省を知らない人達のようです。

 そのような今日('15/08/01),
北日本放送配信記事を読んでいたら,

> 富山大空襲70年

というものがありました。[2]

> 富山大空襲から70年となった('15/08/)1日,
> 富山市で, 戦争の悲惨さを伝える集会が開かれました。
>
> この集会は, 富山大空襲を風化させず
> 後世に伝えていこうと,
> 「富山大空襲を語り継ぐ会」が毎年開いています。
>
> 今回は, 小学5年生から高校3年生まで富山市で過ごし
> 大阪大学大学院で学ぶXXXさんが,
> 富山市に空襲の記録を残す施設がないことを指摘し,
> 「富山空襲資料館」という,
> 展示室や集会室, 犠牲者名簿を張り出す部屋などがある,
> 地上2階・地下1階の施設を紹介しました。
>
> 語る会の人たちは,
> 空襲に関心を持ってくれる若者がいることは心強いと話していました。

 戦争を始めたのが日本ということになっているので,
空襲を受けても仕方がないという意見もあるのかも知れませんが,
焼け野原になった事実を伝えることは,
あって良いようには思います。ですが, 例によって,
現富山市長は,

> 富山大空襲の調査研究グループ
> 「富山大空襲を語り継ぐ会」が
> 空襲資料館や犠牲者の刻銘碑建設,
> 空襲史刊行などを求めて('11)6月末に提出した要請書に対し,
> 2011年7月6日(水),
> 同市は事実上のゼロ回答を示した。
>
> 資料館などの建設については「考えていない」と回答。
> 空襲の痕跡を残す百貨店「富山大和」の旧店舗などを
> 「空襲歴史遺産」として指定することについても
> 「どのようなことができるか調査研究したい」と回答するにとどまった。

ということでした。
そのような人を選んでいるのが多く(大多数)の富山市民です。
そのうち, 8月1日に花火大会がある意味を
知らないことが普通になるのでしょう。

 未だに人殺しをして勝った人達・組織が大きな顔をしていて,
そのような人・組織を支援するような人・組織とは極力かかわらずに,
穏やかに生きていくことを私は望んでいます。

[1] https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%8C%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2

[2] http://www.knb.ne.jp/news/detail/?sid=8328

[3] http://www.museum.or.jp/modules/topNews/index.php?page=article&storyid=1158